フェイブルマンズ


人生の出来事、そのひとつひとつが映画になった。
スピルバーグの自伝的作品。

原題:THE FABELMANS
監督・脚本:スティーヴン・スピルバーグ
脚本:トニー・クシュナー
撮影:ヤヌス・カミンスキー
編集:マイケル・カーン、セーラ・ブロシャー
衣装:マーク・ブリッジス
美術:リック・カーター
音楽:ジョン・ウィリアムズ


映画の神が満を持して撮る自伝的作品。もちろん「(良いに決まってる)でしょうね!」という出来だとは思っていましたが、予想をはるかに超えた残酷さと業の深さで地獄を見ました。(ほめています。)

「科学者」の父と「芸術家」の母。母は事あるごとに息子が自分(芸術家)側の人間だと言うけれど、スピルバーグは残酷なまでに父親似であると言わざるを得ない。自分の夢が他人を傷つけるとわかっていてもそれを止められない「天才」。

この「天才」と「秀才」の要素が絡んだ夫婦地獄モノを、ポール・ダノ*1ミシェル・ウィリアムズがこの上なく丁寧かつチャーミングに敬意をもって演じているのだからたまらない。夫婦間においては、理性や正しさなんてこれっぽっちも役に立たないのだ、ということが容赦なく突きつけられる。

このお母さんは本当に苦しかっただろうなと思う。夫と息子の才能にはさまれ、自らも才能はありながらもそれは家族の決定権を握るほどではなく、得意ではない家事を担い、夫の愛と誠意はゆるぎない。自責要因に押しつぶされそうだし、ユーモアのセンスに長けた「凡人」に救われるのは必然だ。このお父さんにはサポート役に徹することができる女性が最適だと思うのだが、条件でマッチングできないのが恋愛だよな……。彼は彼女の自由奔放さやエネルギー、右脳のひらめきみたいなものがまぶしくてしかたなかったんだろう。そんな両親が息子の夢については、母は信念面から、父は資金面から支援する描写になっているところに、スピルバーグの理解と感謝を感じる。

少年スピルバーグが撮る作品が生み出す原始的な昂揚感や魅せ方の上手さはもちろん楽しくてすばらしかったが、作品が残す傷跡もすさまじかった。スピルバーグが撮ってしまった「真実」をカットしたフイルムを「これこそが私よ」と評する母の陶酔と、「こんなの俺じゃない」と叫ぶジョックスの号泣との対比。クローゼットの中で「真実」と対面させられた母の憔悴ぶり。スピルバーグは映像を通して人に語りかけ、その対話は暴力的なまでに人を圧倒する。彼がそこに意識的なのか無意識的なのかは紙一重で、まさしく「畏怖」を感じる瞬間が何度もあった。

それでいて、映画全体としてはとても普遍的で、きちんとおもしろくてうつくしい。ラストのリンチによるフォードに至るまで、観客は完全に掌の上という感じがしてまたふるえた。


個人的には、自分が母だったら「撮ってくれるな」と思う。というかまず、あの真実カットVer.と真実Ver.を観せられた時点で、ちょっと子どもと距離を置きたくなると思う。製作を両親が亡くなるまで待ったというのも、誠意の向きどころが合っているのかよくわからなくてこわいし、スピルバーグの母なら撮らずにはおれない彼の業を理解し夢を応援してくれただろう、と思わされてしまうのも、最後まで彼女を「母」に縛りつけているようで心苦しい。映画としてはすごいけれど、居心地は悪い作品だった。


★★★★

*1:オスカーにノミネートしてやってくれんか!

エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス


ようこそ、最先端のカオスへ。
マルチバースとカンフーで世界を救え?!
A24が贈る空前絶後のアクション・エンターテイメント、降臨。
第95回アカデミー作品賞/監督賞/脚本賞/主演女優賞/助演男優賞助演女優賞編集賞

原題:EVERYTHING EVERYWHERE ALL AT ONCE
監督・脚本・製作:ダニエル・クワンダニエル・シャイナート
撮影:ラーキン・サイプル
編集:ポール・ロジャーズ
プロダクションデザイン:ジェイソン・キスヴァーデイ
衣装:シャーリー・クラタ
音楽:サン・ラックス


これはもうずーーーっと前から「絶対に!この映画は!いつメンで観たい!(そしてそのあといっしょにおいしいごはんとお酒へなだれこみたい!)」と思っていたので、夢が叶ってうれしかったーーー!年末のシネマランキング会をはじめ、ちょくちょくLINEでやり取りしているのでそんなに間が空いているとは思わなかったけれど、対面で会うのは『エターナルズ』以来だった。そんな待ちに待ったイベント。いつメンとクリスチアノ前に。


家族/国籍/性別/環境…いろんな事情があるのはわかる!わかるけど"Be Kind."(by ヴォネガット!)という愚直なまでにシンプルなメッセージを、ポップカルチャーの洪水とブッ飛んだ世界観でブレインウォッシュする最高な映画。『マトリックス』で始まり『マグノリア』で終わる映画なんて愛するしかない……!

まず現実が平凡すぎて良い。金に頭を悩ませ忙しすぎて優しい夫に八ツ当たりし娘の話に「あとにして」と言ってしまうワーママ…わたしだよ!もうこの時点で完全に狙い撃ちされててむり。こんなつまらないことがなかなか変えられないのが現実なのだが、映画ではつよくてうつくしいミシェル・ヨーがカンフーと愛で虚無的空洞(ベーグル!)からみんなを救い倒していてむせび泣いた。というかもうミシェル・ヨーがカンフーポーズきめたときから泣いてた。

御年60才ですってよ?尊すぎるだろ。わたしの目標はバレエを習い続けられるくらいには元気なおばあちゃんなので、本当にあこがれでしかない。アジア系中年女性の星としてスクリーンで主役を張るに至るまでがんばり続けてくれて、本当にありがとうございます。


そして、イケ散らかしたり泣きべそかいたりと七変化なキー・ホイ・クァンの魅力大爆発!Toxic Masculinityとは真逆の、新時代のパパ像としてもとても良かった。彼のバックグラウンドとこの映画を経ての大躍進が、映画と併せて3Dのように立体で見え、完全に現実がマルチバースを引き寄せていて、すごい映画体験だと思った。


ちがうバースの描写も、秘められた自分の可能性にとどまらず、(今は敵対しているかもしれない)他者の可能性や関係性にまで広がっていて、優しかった。他者との時間はすべてが最高というわけにはいかないけれど、ほんの少しでもかけがえのない時間があれば一緒にいる意味がある…というような人生観も感じられてぐっときた。

brutus.jp


くゥ……ダニエルズあざといくらいアイドル性高くてくやしい。画像検索してしまう。


あとは、思いもしなかった収穫として、日常的にわたしが陥りやすいマイナス思考を軽くする助けになるような描写が多かったこと。心に穴を感じたらベーグルだと思えばいいし、やぶれかぶれになったら心の中でエヴリンにガラスを割らせるし、娘がかんしゃくを起こしたら崖から転がり落ちそうな石を思い浮かべる。中でもエヴリンの話を聞いていないさまがわたしの娘にそっくりで、「娘もバース・ジャンプしてるのかな?」と思い至ったのは、個人的にはかなりの学びだった。*1


★★★★★

*1:初期の設定では、エヴリンはADHDゆえに別の世界に入っていけるというアイデアだったとのこと

少女は卒業しない


あの頃、ここが世界のすべてだった
青春小説の名手・朝井リョウの原作を映画化
卒業式までの2日間を描く、恋する少女たちのさよならの物語

監督・脚本:中川駿
撮影:伊藤弘典
編集:相良直一郎
美術:宍戸美穂
衣裳:白石敦子
ヘアメイク:杉山裕美子
助監督:中里洋一
音楽:佐藤望
主題歌:みゆな
原作:朝井リョウ


娘の卒園式を控え、「式だるっっっ…誰か式が良いものだと思わせてくれんか……?」という気持ちになり鑑賞。謝恩会関連の鬼LINE通知を切って(しかも在宅勤務をごまかして)、青春映画なんぞ観ている社会不適合者のわたしを許してほしい。(でも、ちゃんと「式って良いね!」という気持ちになりました!ありがとうございます!)

まず、『桐島〜』並みにスターを輩出しそうな映画で、役者陣のきらめき*1だけでもどきどきわくわくしてしまった。原作からの脚色がすばらしい点も『桐島』と同じで、朝井リョウの映画化され力よ!

卒業式前日〜当日の様子を、4人の少女の視点から、伏線を丁寧に回収しながら描いていく。とても繊細な描写がしずかな感動を積み重ねていき、自分でもずっと忘れていた記憶や感情が鮮明によみがえってきてびっくりした。
キャストはみんな良かったけれど、とくに河合優実は圧倒的で、彼女を見て一歩を踏み出す図書室の子のエピソードと併せて泣きました。


青春映画って製作しているのは中年なので、甘酢に思い出補正するのはもちろんだけど、逆に学校をすこし過剰に戻りたくない「地獄」として描く傾向があるような気がする。わたしも「楽園」でぬくぬくしていた学生だったくせに、ちょっとそんな風にすかしていた時期もあった。今年は年始に久しぶりに同窓会もあったりして、一周回って「やっぱり良かったよな」とちょうど思い直していたタイミングだったのだ。

この映画はその甘酢や地獄がかなり抑制されたトーンで、とても自然に描かれていて、観ているうちに、自分も卒業式で「卒業したくなーーーい!」と笑っていたこと、第一志望に合格したら大好きなおじいちゃん先生から愛用の英語の辞書をもらう約束をしていたこと*2、友だちや後輩と撮った写真、書いてもらったメッセージのペンの色なんかがブワーッとよみがえってきて、「あ、わたし学校好きだったんだな」と素直に思ってしまった。
せまい世界は地獄だけど、可能性をつぶしていたのは自分自身だったりもする。それもこれも全部卒業してわかること。

ただ一点。わたしだけだと思うのですが、佐藤緋美のエピソードだけが解釈違いで……。わたしは最後まで刹那四世をまっとうするひとをこそ愛すし、もしそれを突破するとしたらLauryn Hill並みのアカペラが必要だと思うので。高校生時代の自分が軽音部部長のような立ち位置だったからこそ余計に。(キャラは圧倒的にバスケ部部長の相棒なんだけど。)

ちなみにこの相棒役の坂口千晴さんの演技が本当にいきいきとしていて魅力的で、もっと観たい!ってなったし、近日中にブレイクしそうな気がしてわくわくしました。


★★★★

*1:窪塚Jr.が体育座りしている際の座高の低さにわたしは驚愕したよ!

*2:今でも実家に大事に保管してある

バビロン


ラ・ラ・ランド』監督がハリウッドを舞台に描く、夢と音楽のエンタテインメント


原題:BABYLON
監督・脚本:デイミアン・チャゼル
撮影:リヌス・サンドグレン
美術:フローレンシア・マーティン
衣装:メアリー・ゾフレス
編集:トム・クロス
音楽:ジャスティン・ハーウィッツ


2~3月、空前絶後の期待作公開ラッシュで、映画ファンはうれしい悲鳴ですよね。全部は観れない…どれを優先させれば……と頭を悩ませるなか、正直この映画はスルーかな?と思っていました。長いし。しかし!「今回のチャゼルとは解釈違い…」という感想が散見され、どーーーしてもわたしも確かめてみたくなってしまったのです。わたしは『ファースト・マン』(チャゼルの中で一番好き)で号泣したし、『ラ・ラ・ランド』も好きで、どちらも年間ベストに入れているくらいなのですが、なんとなく好きな監督にチャゼルを挙げられない。なんでだろう?ということで観てきました。

結果、楽しかったけど、今までのチャゼルで一番解釈違いだった。友だちとお酒のんで踊りながら発声上映したら楽しいだろうな~と思いながら観ました。

出だしは即物的なアプローチに全くのれず。(エログロ吐瀉物をそのまま見せられても全く心が動かないんよ…。)どうしても『OUATIH』タランティーノと比べてしまった。ネリー&マニーのしごでき成り上がりエピソードあたりからは上がってきて、ブラピが儚げな悲哀かもし出したあたりまでは良かったんだけど、終盤はだんだんどうでもよくなってしまい、「チャゼル待って〜わたしそのバス乗り遅れてるから〜〜〜」と脳内で呼びかけてました。


チャゼルは個々の映画の内容よりも位置づけ、映画史の流れやスターの栄枯盛衰に興味があるひとなのかな?という気がしたし、好きな映画は同じでも好きなポイントは全然ちがうひと…という感じがした。すごく卑近なたとえで恐縮なのですが、映画全体が「微妙にツボをはずしたセックス」のようで、「悪くないし、要素要素は好きなはずなんだけど、そこじゃないんだよな~~~」がぬぐえなかった。「映画愛」より「地獄の沙汰も金次第」風味の方がつよくて、それなら映画の話じゃなくても良かったんじゃないかな?と感じてしまった。

ただ(これは音楽の力が大きいかもしれないけど)元気は出るし、コロナ禍でパワー持て余してたよね…となぜかほほえましい気持ちになる、嫌いになれない映画でした。

以下、ほほえんでしまったポイント

  • 絶対『OUATIH』や『NOPE』と比べられるとわかっていながら我慢できずに直球でいってしまった感
  • コロナ禍つまんねーーーッ!自粛とかやってられっか!という気概
  • 変態性癖パーティーの描写がだるすぎるチャゼルはいい子
  • トビー・マグワイアめっちゃ喜んでてかわいい
  • ディエゴ・カルバの表情管理


★★★

エンパイア・オブ・ライト


人生を照らす光は、きっとある。

原題:EMPIRE OF LIGHT
監督・脚本・製作:サム・メンデス
撮影監督:ロジャー・ディーキンス
編集:リー・スミス
美術:マーク・ティルデスリー
衣装デザイン:アレクサンドラ・バーン
音楽:トレント・レズナーアッティカス・ロス


信頼の友の感想が良すぎたので、優先順位を上げて鑑賞。友だちは「これは自分の映画…」と感じて薦めてくれたのだけれど、これを「自分の映画」だと感じた友だちがとてもすてきだと思った。

さて、コロナ禍におけるロックダウンを経て、名監督たちによる自身の集大成的な作品や映画/映画館へのラブレター的な作品が続々と封切られているなか、この作品も!サム・メンデスの自伝的な作品で、ヒラリーのモデルは母親とのこと。
サム・メンデスは好きな監督で、知的で端正な映画を撮る印象なのだが、自伝的な作品を撮るとしたらもっと隙の無いものものしい映画になると思っていた。この映画を観ながら、サム・メンデスはこんなに優しいひとだったのかと正直びっくりした。傷があるからこそひとに優しくできるということ。

さりげないショットの一つ一つがその人物のひととなりや感情をていねいに示していく。冒頭のモーニング・ルーティンからもうぐっときてしまった。マイケル・ウォードがインタビューで「サム・メンデスオリヴィア・コールマンロジャー・ディーキンス、その中の一人と仕事できるだけでもとんでもないことなのに、3人同時だなんて…」と話していたが、そこにトレント・レズナーアッティカス・ロスの音楽が乗ってくるのだから、もううつくしすぎてぜいたくすぎてぼうっとなってしまった。

ヒラリーには途中までどう寄り添えるか迷った部分もあったが、そこは名優オリヴィア・コールマン!気持ちをきっちり持っていってくれた。観客の中の偏見をあぶり出すような役でもあると思うので、「なぜこんないかれた中年女が?」「若くて美しい青年と不釣り合いだ」という差別意識が頭をもたげそうになるが、スティーヴンのみずみずしいまっすぐな善性と、ヒラリーの繊細なシャイネスと子どものような直情が同居するふしぎな魅力が、それを許さない。映画全体も心を制御できなくなったひとのこわさを描きつつも、ヒラリーに対する心ない声があるとしたら、それを断固阻むつくりになっていると思う。

まったくちがう属性のふたりが愛し合うことは意外と簡単で、しかしきちんと向き合うことはとてもむずかしい。その痛みを経て成長したふたりの別れが胸にしみた。


「人生とは心のあり方」ー決して善い人間ではなくメンタルも弱い自分は、まさに映画に支えられて都度心を立て直してきたので、終盤は涙なしには観られなかった。大学生時代は映画館でバイトをしていたこともあり、映画館という空間自体の尊さやスタッフたちの慎み深いやさしさも、胸に迫るものがあった。「映画を好きでいて良かった」と思える、ごほうびみたいな映画。




★★★★★

別れる決心


疑惑がふたりを惹き寄せ 愛がふたりを引き裂いた
出会いは”刑事と容疑者”のはずだった。世界を魅了したサスペンスロマンス

原題:헤어질 결심
英題:Decision to Leave
監督・脚本:パク・チャヌク
脚本:チョン・ソギョン
撮影:キム・ジヨン
編集:キム・サンボム
美術:リュウ・ソンヒ
衣裳:クァク・ジョンエ
音楽:チョウ・ヨンウク


まさしく何回も観たくなるようなスルメ映画。道具立てはベタなのに、唯一無二の味わい。ヒッチコックの『めまい』はもちろん、近作だとPTAの『ファントム・スレッド』を思い出したりした。メロドラマすれすれの俗悪な話がなぜか崇高さを帯びる/常人の理解を突き抜けた男女のバランスゲーム/幸福と不幸、現実と夢の境が溶けていくような甘美さ


以下、ネタバレ

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こちらあみ子


「応答せよ、応答せよ」
あの頃の私が呼んでいる。

監督・脚本:森井勇佑
編集:早野亮
撮影・照明:岩永洋
美術:大原清孝
衣裳:纐纈春樹
助監督:羽生敏博
音楽:青葉市子
原作:今村夏子


原作既読。原作の印象は、善意と悪意、正気と狂気、日常と非日常、の境が溶けていくような「不穏さ」。映画を観たいと思う原作ではなかったものの、アトロクで絶賛されていたので。

いろいろな要素が含まれていて、どこを一番強く感じるか観客によって違うタイプの作品だと思う。わたしは、原作ほどの閉塞感や悪意は感じなかったけれど、やはり一番「不穏さ」が勝った。感じ方の違いや一方通行のコミュニケーションの残酷さが胸に刺さった。『カモン カモン』が「そのひとのすべてを理解する」ことをあきらめるということ、そのうえで「対話する」ことをあきらめないということ、を描いていたとしたら、その対極を描いていると思った。重いテーマをあかるい画で描くのは是枝監督みを感じたりも。

まずは、とにかく「たぶん子どもってこういう視点や時間感覚で生きているよな」という描写が見事だった。ぼうっとしたり異様に集中したりで時間が飛ぶ。生と死との距離が近く、いろいろなふしぎやわからなさを抱えたまま生きている。あみ子はやや極端にせよ、みんなそうだったはずだ。問題はあみ子はずっと変わらず、周りが変わっていく、もしくあみ子が変わっていくことを期待することで起こる齟齬だ。これはどちらが悪いという風には描かれていないが、そのぶんとても残酷だと感じた。


わたしは母属性なので、やはり義母との齟齬が一番こたえた。ずっと母のあごのほくろばかりを見ているあみ子、弟(しかも性別を勘違いしている)の墓標をつくってしまうあみ子、入院を「ずるい」ごはんをつくれないから「離婚だ」と言ってのけるあみ子ーどれもわかるし仕方のないことなのだがつらい。

住みやすそうに整えられていた部屋がどんどん荒れていく。あーむり。

義母もまじめなひとなんだろうけど、あみ子みたいな子にあのごちそうの出し方、写真の頼み方はかなり不用意だと言わざるを得ない。すこしだけ視野をゆるめれば、あみ子への接し方やそのかわいさが胸に届くことがあっただろうが、不幸がその可能性を閉ざしてしまう。

それでも子どものころはお兄ちゃんとはまだつながれていた。結果あみ子がそれをできないにせよ、きちんと説明や注意をしてくれていた。それがなくなってはじめて、どれだけお兄ちゃんが助けになっていたか(そしておそらくどれだけそれが彼にとって重圧になっていたか)がわかってせつないし、だからこそ霊の音に悩まされるあみ子をさくっと救うシーンは泣ける。
クラスメイトの男子が唯一あみ子に「発信」しているのは救いだが、トランシーバーがつながるのは一瞬だけなのがまたせつない。

あみ子は基本ひょうひょうと描かれているし、もちろんいわゆる「ふつう」とは違う感じ方をしているだろうけど、やはり傷ついているしひどい仕打ちを受けている。あみ子の生命力、光にあふれる画と彼岸からの手招きが並列するシーンは「希望」を多く受け取るひともいるだろうが、わたしはやはり「不穏」を感じて胸がざわざわした。


★★★★