音楽にとりつかれた祖父と、素数にとりつかれた父、とびぬけて大きなからだをもつぼくとの慎ましい三人暮らし。音楽家をめざす少年の身にふりかかる人生のでたらめな悲喜劇。悲しみのなか鳴り響く、圧倒的祝福の音楽。
また泣いた。対いしいしんじ打率10割。このひとの作品を読むといつも「祝福」という言葉が思い浮かびます。ジュビリー。
ここに出てくる音楽ときたら、「赤い犬と目のみえないボクサーのワルツ」だの「なげく恐竜のためのセレナーデ」だの「なぐりあうこどものためのファンファーレ」だの。
なぐりあいは、つながること。からだとからだが触れ合うこと。たとえ目にみえなくなったからだであっても、ぼくたちはそのからだを、音楽を通してならなぐりつづけることができる。このぼくたちがこうして、本当の音楽を鳴らすのならば。演奏の途中で、雨粒が落ちてきた。あたたかい春の雨だ。葬儀屋があわててお棺のふたをしめる。ちいさな窓から用務員さんのおだやかな顔がのぞいている。ぽたぽたと春の雨粒が棺桶のふたを鳴らす。この世で打楽器でないものはなにもない。
素数にとりつかれた父が、奥さんのためにオムレツを習うくだりが最高にラブリー。