タリーと私の秘密の時間

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がんばりすぎる昼間の私が、夜に見つけたホントの私。
ベビーシッターのタリーは、イマドキ女子なのに仕事は完璧。だが、何があっても夜明け前に姿を消し、自分のことは絶対に語らない―。

原題:TULLY
監督:ジェイソン・ライトマン
脚本:ディアブロ・コディ
撮影:エリック・スティールバーグ
編集:ステファン・グルーブ
美術:アナスタシア・マサロ
衣装:アイーシャ・リー
音楽:ロブ・シモンセン


いま観ちゃアカンやつやった……!とはいえ、劇場内の反応と自分の心の中がここまでズレたことは初めてで、そういう意味では得難い経験でした。
「がんばりすぎなお母さんへのエール」という感想を見かけるけど、そういった観客の感想を含めかるく絶望する、完全に「またそこからですか……」案件でした。

以下ネタバレ。


そもそも、あらすじを読んだ時点で、わたしは「タリーの正体」を「マーロの別人格/妄想」もしくは「タイムリープしてきた現在育児中の娘」と予想していたのですが、映画が進むにつれ「どうか前者でありませんように!」と、ふるえながら懇願するありさまでした。

この映画には肌感覚できもちわるい点が多かった。
まず、マーロの人物像。この人物は完璧主義と言えるのか。バースコントロールや体型にはルーズで、冷凍ピザで手抜きはできるのに、ただひたすらに人に頼ることだけを拒んでいるのはどういう訳なのか?セラピストには掛かるのにナニーには難色を示すのもなんだかひっかかる。
マーロの子ども。上の子たちが手がかからなすぎる。姉弟げんかもなく、食事も移動も大人と同じようにできる。多子育児が大変な年齢は過ぎていて、十分戦力になり得る存在なので、発達障害が負荷要因として取ってつけたように見える。
マーロの搾乳はなんのためなのか。保存しているからには、マーロ以外の人が授乳することを想定していると思うのだが、夫もタリーも授乳する気配すらない。*1
例えばマーロが自らの体を自虐的に“a relief map of a war-torn country”と表すシーン。場内では笑いが起きていたが、こんなの現在進行形の母には笑えない。

作品のメッセージも詰んでいると思った。
「ホコリがたまったって死にはしない」とか「納豆ごはんさえあれば生きていける」=「母よ、手を抜け」ということはよく言われることだけど、そういう問題じゃない、ということをこの映画は鮮やかに描いている。ピカピカの床、カラフルなカップケーキ―、そういう余分なものから現にマーロは活力を得て、息を吹き返した。
夫は「完璧なんて求めていない」と言うけれど、それはずいぶん見当はずれな声かけだ。マーロの完璧は「家族」のためのものではなく、「自分自身」のためのものだからだ。「自分の人生をケア」するのは「自分」しかおらず、それとは別に、「夫」のためには、彼の嗜好に合わせたコスプレをして、誘惑しなければならないなんて。*2
結局マーロは何をすべきで、何をすべきでないんだろう?

そして、その夫。
マーロは第二子出産後にも産後うつになっており、彼はもはや初犯ではないのである。第三子出産に際してその対策が全く取られていないばかりか、マーロはワーキングマザーであるにもかかわらず、産休前もこの家事分担で生活を回していたことは想像に難くない。妻が運び込まれた病院で、「自分はナニーのことについてはよく知らない」「(自分は在宅していたが)妻が育児を放棄して外出しているとは思わなかった」と言ってのけてしまう朗らかさ。マーロが徘徊し、彼がヘッドホンをしてゾンビを打ちまくっていた時、いったい娘はどうなっていたのか。
これほどの事態になるまで頼れなかった/気づけなかった、ということは、互いに大きな傷になると思う。ラスト、自然光の中イヤホンを分け合いなんだかいい感じに着地している風だったが、結局彼は娘の深夜対応のために起きてくれるようになったのか、膝詰めしたい気持ちでいっぱいである。

なにより残念なのは、「明日には別人になってしまうから、子どものかけがえのない一瞬一瞬を見逃さないで」「ありきたりな日常こそ夢見た未来」という胸を打つメッセージが、基本的には母に向けられていることである。ちがうちがう!二人の子!父にとって育児はいつまで「参加」し「手伝う」ものなのだろう。父を母のヘルプに矮小化しては、父だってかわいそうである。

そんな中、もっと観ていたい!と思わせてくれたマッケンジー・デイヴィスのたたずまいは、すばらしかったです。役柄もあるけど、ちょっとゾーイ・ベルと通じる魅力があるなぁと思いました。


★★

*1:結局、画的なインパクト狙ってるだけの、母親に対する敬意も理解もない描写に見えてしまう

*2:そしてこの妻の奇行から夫が何のサインも読み取れないなんて。