こちらあみ子


「応答せよ、応答せよ」
あの頃の私が呼んでいる。

監督・脚本:森井勇佑
編集:早野亮
撮影・照明:岩永洋
美術:大原清孝
衣裳:纐纈春樹
助監督:羽生敏博
音楽:青葉市子
原作:今村夏子


原作既読。原作の印象は、善意と悪意、正気と狂気、日常と非日常、の境が溶けていくような「不穏さ」。映画を観たいと思う原作ではなかったものの、アトロクで絶賛されていたので。

いろいろな要素が含まれていて、どこを一番強く感じるか観客によって違うタイプの作品だと思う。わたしは、原作ほどの閉塞感や悪意は感じなかったけれど、やはり一番「不穏さ」が勝った。感じ方の違いや一方通行のコミュニケーションの残酷さが胸に刺さった。『カモン カモン』が「そのひとのすべてを理解する」ことをあきらめるということ、そのうえで「対話する」ことをあきらめないということ、を描いていたとしたら、その対極を描いていると思った。重いテーマをあかるい画で描くのは是枝監督みを感じたりも。

まずは、とにかく「たぶん子どもってこういう視点や時間感覚で生きているよな」という描写が見事だった。ぼうっとしたり異様に集中したりで時間が飛ぶ。生と死との距離が近く、いろいろなふしぎやわからなさを抱えたまま生きている。あみ子はやや極端にせよ、みんなそうだったはずだ。問題はあみ子はずっと変わらず、周りが変わっていく、もしくあみ子が変わっていくことを期待することで起こる齟齬だ。これはどちらが悪いという風には描かれていないが、そのぶんとても残酷だと感じた。


わたしは母属性なので、やはり義母との齟齬が一番こたえた。ずっと母のあごのほくろばかりを見ているあみ子、弟(しかも性別を勘違いしている)の墓標をつくってしまうあみ子、入院を「ずるい」ごはんをつくれないから「離婚だ」と言ってのけるあみ子ーどれもわかるし仕方のないことなのだがつらい。

住みやすそうに整えられていた部屋がどんどん荒れていく。あーむり。

義母もまじめなひとなんだろうけど、あみ子みたいな子にあのごちそうの出し方、写真の頼み方はかなり不用意だと言わざるを得ない。すこしだけ視野をゆるめれば、あみ子への接し方やそのかわいさが胸に届くことがあっただろうが、不幸がその可能性を閉ざしてしまう。

それでも子どものころはお兄ちゃんとはまだつながれていた。結果あみ子がそれをできないにせよ、きちんと説明や注意をしてくれていた。それがなくなってはじめて、どれだけお兄ちゃんが助けになっていたか(そしておそらくどれだけそれが彼にとって重圧になっていたか)がわかってせつないし、だからこそ霊の音に悩まされるあみ子をさくっと救うシーンは泣ける。
クラスメイトの男子が唯一あみ子に「発信」しているのは救いだが、トランシーバーがつながるのは一瞬だけなのがまたせつない。

あみ子は基本ひょうひょうと描かれているし、もちろんいわゆる「ふつう」とは違う感じ方をしているだろうけど、やはり傷ついているしひどい仕打ちを受けている。あみ子の生命力、光にあふれる画と彼岸からの手招きが並列するシーンは「希望」を多く受け取るひともいるだろうが、わたしはやはり「不穏」を感じて胸がざわざわした。


★★★★