スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム

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全ての運命が集結する

原題:SPIDER-MAN: NO WAY HOME
監督:ジョン・ワッツ
脚本:クリス・マッケナ、エリック・ソマーズ


早く観なきゃネタバレ踏んじゃうよー!と焦りまくっていたけれど、賢者(友だち)が「過去作復習で後悔はさせない。どうしても時間ないなら『アメスパ2』だけでも」と力強く推してくれたので、無印3とアメスパ2という卑怯な復習で臨みました。いつもありがとう…!これ感動の度合いに大きく影響するじゃんか…!

だいたいみんな同じだと思うんだけど、サム・ライミ版(とくに1)はかなりはっきり覚えているんだけど、マーク・ウェブ版あまり覚えていなかった。さらに直近のトムホの陽の印象が強いので、正直無印3とアメスパ2観返して「こんなつらい話だったっけ?」「そしてMJ(グウェン)こんな猛烈だったっけ?」とがく然とした。


とまぁこんな感じでバタバタでしたが、晴れてIMAX鑑賞。

以下、ネタバレ。





まずは、ありがとうというきもち……。『スパイダーバース』大好き芸人としては「これを実写でやってくれるなんて…」とふるえたし、実際のピーター・パーカーズのかわいさときたらカンストしてるし、共闘/MJキャッチ/報復阻止のフルコースには「尊い尊い…」と涙を流しながら拝むしかなかった。極めつけにThe Magic Numberーーー!!!でト・ド・メ。


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あとは、改めてMJとメイおばさんの描き方、ゼンデイヤマリサ・トメイというキャスティングが最高だったな、とジョン・ワッツ版への感謝の念がわいた。

ただ、これはスタッフのせいではなくシリーズの特性上しかたのないことだと思うけど、『スパイダーバース』のように手放しで「サイコゥ!サイコゥ!サイコゥ!」とは言えないな、とも思った。

まず、『エンドゲーム』にも通じる、もはやMCUの宿命だと思うんだけど、大人の事情や既定路線の入退場ありき、ということ。もし完全に自由に撮れたならこんなつらい展開になったかな?という疑問。前半の軽快な展開からは想像もできないほど重すぎる代償。「大いなる力には大いなる責任がともなう」ってこういうことなの??スパイディを「子ども」だと強調するわりに引責しないストレンジなに?そして犠牲になっているのは本人ではなく、メイおばさんの命やMJ・ネッドの記憶なわけで…。メイおばさんのくだりは正直ナターシャのトラウマがフラッシュバックしたし、MJ・ネッドに選択の余地がないのもつらい。
スパイディは結局ひとりぼっちになって利他に生きるヒーローなんだと言われればそれまでだし、完全にトムホモンペ人格が暴走してるせい*1とも思うんだけど、それでもヒーローがしあわせになれない必要ある?と感じてしまう。*2

そして代わりにそれを「マルチバース」「セカンドチャンス」ありきで受け取るということ。希望や救いだけを感じる閾値は超えてしまった気がする。前作の『ファー・フロム・ホーム』も「ものすごいちゃぶ台返しだな」と思ったけど、もはやルール無用になりつつある。ものすごーーーくいじわるな見方をすると「でも結局ワンチャンあるんですよね?」「でもみんなはしあわせになれなくて、割を食うひとが変わるだけですよね?」という思考パターンにうっすらはまりつつある。

ヴィランを「治す」って発想も優しい世界で良かったんだけど、ちょっとモヤるところはあった。「強大な力を行使したい」という欲やそれを実行に移せるスキルは事実存在する。それを「ハイ!正気に戻しましたよ!」という解決のしかたは、ちょっとロボトミー的な発想にも感じられて、「わー!よかったね!」とは思えなかった。もちろん「殺さない」ことが第一義なんだけど、「前のあんたの方が好きだった」と言いたくもなるよな。


でも上につらつら挙げたポイントはもうMCUに属する以上しかたのないことで、そこをいじると改悪にしかならない、というのもわかる。苦い最高傑作だった。自分もこれでMCUを卒業してもいいのかもしれないと思った。
ここまでネタバレ厳禁/過去作履修が前提、予習/復習が感動の度合いに大きく影響する、となると正直かなり負担が大きい。ディズニー懐疑派の自分は、ドラマ等もほぼ履修していないし、MCUファンだけどターゲットからはずされつつあるな、というのはひしひしと感じる。さみしい。そしてやっぱりディズニーのこういうやり方は好きじゃない。


★★★★★

*1:そして公私ともにトムホ&ゼンデイヤカップルがキュートすぎるせい

*2:あとアホみたいな感想だけど、涙でぐしゃぐしゃのトムホ見て、マリサ・トメイよく死んでられるな、すごいな、と感心してしまった。わたし絶対もらい泣きしてしまう