
電動ママチャリのこと、あまり好きじゃなかった。みんな必要に迫られて乗っているのだと思っていた。大きくて重たくてものものしい。子どもや荷物を効率よく運ぶことに特化した乗りもの。
思い返してみると、買うときもまったくときめかなかった。わたしは「あってもなくてもどうでもいいもの」であるほど心がときめき、「実用的」「必需品」であるほどどうでもよくなるらしい。電動ママチャリはわたしの中では「家電」に近い位置づけなのかもしれない、などとぼんやり思ったりした。
上の娘が持ち前のやる気であっという間に自転車に乗れるようになったころ、夫はしれっと自分の自転車を買っていた。赤のプジョー。そのときはなんとも思っていなかったのだけれど、下の息子が上の娘と同じ年頃になっても全然自転車に対する意欲がないのを見ていたら、急にうらやましくなってきた。それに息子はかなりの重さになっているのに、乗車中にふざけたおすので、ハンドルを取られそうでこわいのだ。わたしはいつになったらひとり悠々自適に自転車に乗れるのか?
転機は急に来た。息子は突如自転車に乗る気になり、あっさりと乗れるようになった。時を同じくして、夫は腰椎を骨折した。ハードコアのライブでダイブしたものの、誰も受け止めてくれず頭から落下したのだ。腰にボルトを入れる手術をし、機械の身体を手に入れた夫は、10日間入院した。わたしは胸に爆笑と殺意をちょうど半分ずつ抱きながら、ワンオペ育児、夫の病院通い、夫不在の家族旅行などの予定をこなしていった。夫はめずらしくしょげていた。わたしは昨年末あたりから不調がつづいており、通院しながら少し負担を減らそうという方針を家族会議で決めたばかりだったからだ。
そんなわけで夫は「自転車を買ってあげる」と言い出した。罪ほろぼしというわけだ。わたしは「ボーナスまで待って買おう」と目星をつけていたかっこいい新車があったのだが、さすがにあわれに思って中古車で妥協することにした。なによりすぐに自分の自転車が欲しい。とにかくひとりで自転車に乗りたい。とくにブランドなどにこだわりはなかったのだが、キビキビ小回りの利く小径車(ミニベロ)がいいなと思って、オークションサイトで探した。色の選択肢もあまりなかったけれど、ふだん選ばないであろうピンクパープルがふしぎと今の気分に合った。
はじめて、あたらしい自転車をこいだとき、驚いた。電動ママチャリって本当にこぐ力要らなかったんだなぁ、と。自分でこいだ力がペダルに伝わりホイールを回し風を切って進んでいくのが とてもうれしいとてもきもちいい。電動ママチャリではびくともしなかった段差に、わたしはきれいに転倒ししっかり負傷した。(根岸祐衣さんのレッスンへ向かう途中のできごとだったので、推しに絆創膏を貼ってもらうというイベントが発生した。)

自分の自転車を手に入れたわたしは浮かれた。夜に乗る予定もないのに、「かわいいかわいい」とリフレクターも買った。今まで知らなかったけど、自転車ってデコる要素がたくさんあるのだ。ちなみに夫は自転車を「素に近い状態であればあるほどかっこいい」と思っているタイプらしく、嬉々として自転車のパーツやアクセサリーを検索するわたしを珍妙な動物を見るような目で見ていた。
いろいろな人にも話した。やっと電動ママチャリを卒業したんです。軽い自転車うれしいたのしい。てっきり祝福してもらえるかと思いきや、これまたみんな奇異の目でわたしの顔をまじまじと見返してくるのだ。電動ママチャリ便利ですよ?運動系の部活はないとむり。まだ使えるんですよね?解放感のあまり、電動ママチャリは近所の自転車屋さんのおじいちゃんに即引き取ってもらってしまっていた。我ながら家電枠に対する愛がないな、と笑ってしまう。4月・5月に乗る自転車は最高だった。去っていく春を惜しみながら、次の季節へと快適にこぎ進めていきたい。