落下の解剖学


雪山の山荘で、男が転落死した。
男の妻に殺人容疑がかかり、
唯一の証人は視覚障がいのある11歳の息子。
これは事故か、自殺か、殺人かー。
第76回カンヌ国際映画祭パルム・ドール
第96回アカデミー脚本賞

原題:ANATOMIE D'UNE CHUTE
監督・脚本:ジュスティーヌ・トリエ
脚本:アルチュール・アラリ
撮影:シモン・ボーフィス
編集:ロラン・セネシャル
美術:エマニュエル・デュプレ
衣装:イザベル・パネッティエ


羅生門型ミステリを入り口にして、『マリッジ・ストーリー』の如き夫婦間の地獄、事実と想像を混ぜることの危険性、それを(たとえ脳内であっても)映像化することの暴力性、さらに「結局人間は他人の一部しか知ることができないし、それを基に主観(あるいは覚悟)でもって判断を決めるしかない」という他者との関わりにおける根本的なおそろしさ*1にまで到達していく。観客は被害者、容疑者、法曹、障がいをもつ子ども、介助犬、果ては自分自身にまで疑いの目を向けなければならず、さらに使用する言語やピアノの旋律、人物の配置や家族の写真などのキーアイテムにも細かく気を配らなければならないため、どっと疲れる映画だった。

よくできた映画だとは思うのだけれど、個人的にはあまり好きになれなかった。緻密に配置されたキャラクター造形が単なるプロット・デバイスになってしまっている気がして。ただのミステリならそれでもかまわないと思うのだけれど、ここまで人間を描くドラマだとさすがに気になった。

あとは、たとえ「真実」など無意味で観客の思考に委ねられる映画だとしても、一応監督の中で「真実」を固定しないと、観客が思考を巡らせる意味がなくなってしまう気がした。あの捜査・証拠・裁判の内容だと、最初から真相がどうでも良すぎて、「それはすべての材料が曖昧すぎて判断できないよ…」となってしまう。疑問点や矛盾点に思える部分を解消しようとする人が出てこないので、観客が「真実」をどうとでも取れるのは当たり前だと感じてしまう。同じような志向の『三度目の殺人』でも全く同じことを感じたので、完全に個人的な好みの問題なのだけれど…。

犬の判断材料もっとくれ

あとは、やはり「犬」描写ですね……。あの実験について、わたし法廷開廷⇒即有罪判決となってしまったため、その後は正直かなり気をそがれてしまいました。これも監督が観客の倫理観や地雷をあぶりだすための演出だと思うし、その上で登場人物の好き嫌いについて話したり「怪物だーれだ」を考えたりするのは楽しいとは思うのですが。

ちなみにわたしが一番好きなのは(人間なら)ザンドラです(たぶん監督の思惑通りだけど)。犬を従えし女。


★★★

*1:このへんはちょっと『怒り』を思い出したりもした