悪は存在しない


これは、君の話になるー
観る者誰もが無関係でいられない、心を揺さぶる物語

監督・脚本・編集:濱口竜介
撮影:北川喜雄
編集:山崎梓
美術:布部雅人
助監督:遠藤薫
音楽:石橋英子


劇場を出ると世界が違って見えた。鑑賞後の観客みんなすごい顔してたなぁ。事故に遭ったか、もしくはお通夜のような。

オープニング、石橋英子の音楽とともに仰望で森を進んでいく。だんだん天地がわからなくなっていき、数多の枝がまるで樹形図のように見えてくる。この映画はいったいどこへ行き着くのか。のちに都会のカットが挟まれたときに反射的に「うつくしくない」と感じて、この序盤は観客がこわくてうつくしい自然に慣れるために必要な長さだったんだな、と思い至った。

全体的には濱口監督版『もののけ姫』といった気配。そこに「悪は存在しない」「水は低い方へ流れる」「すべてはバランス」というフレーズがこだまする。

人間に限っていえば、どの登場人物にもおもしろがる目線と少し意地悪な目線が向けられているように感じた。人物が対峙する局面はいつも微細な均衡がはかられている。一見正論を言っているように見える地元民も、ノリで移住を決めようとする開発側の人間も、安易にその人間を判断できないよう自分の中のシーソーを揺らされ続ける。このへんは『ハッピーアワー』に通じるような見事なバランスの人物描写だった。

ラストは花や高橋に「上流でやったこと」が回ってきたようにも見えるし、巧の行動が半矢の鹿や天災と同じであるかのようにも見えるし、巧が自然の摂理と人間の感情との間で葛藤しているようにも見えるし、はたまた巧親子が鹿の化身や境界を超越する者であるようにも見える。都会の人間の倫理で見れば、子どもを監督していない父。自然の摂理に従えば、打ち捨てられたままの鹿の死骸。それらしい解釈を考えてみても、どこにも分類できないし、どんな説明もしっくりこない。


わたしには少しでもわかった気になっている人間や「対岸の火事」的な態度を打ちのめすような、自然への畏怖のようなものがつよく残った。「どこか他の場所へ」追いやられるのは誰なのかー深く考えさせられる映画だった。


★★★★