逆転のトライアングル


狂った時代を、笑い飛ばせ
現代の超絶セレブを乗せた豪華客船が無人島に漂着。
そこで頂点に君臨したのは、サバイバル能力抜群な船のトイレ清掃婦だったー。
第75回カンヌ国際映画祭パルム・ドール

原題:TRIANGLE OF SADNESS
監督・脚本・編集:リューベン・オストルンド
撮影:フレドリック・ウェンツェル
編集:マイケル・シー・カールソン
美術:ヨセフィン・オースバリ
衣装:ソフィー・クルネゴート


三幕それぞれでカラーが違うせいか飽きなくてとてもおもしろかった。

以下、ネタバレ






一幕目はルッキズムジェンダー、人種、貧富等にまつわる階級と権力構造についてあらゆる風刺やってくよー!というつかみ。これが意地悪シニカルすぎて乗れるか心配になったけど、カールのエレベーター開閉芸からはつい笑ってしまった。


つづく二幕目は完全にシュールコントで嫌なクルーズ大喜利。地獄漫談と茶色いシャイニングからのまんがみたいな爆発オチにまた爆笑させられてしまった。

三幕目は一気にトーンが変わり、好みが分かれそうだけど、個人的にはシャマランの『OLD』みたいな味わいがあってとても良かった。監督は第三幕を人間の汚い部分をあぶりだした単なる逆転劇として描いてはいないと思うし、実は一番情報量が多くてスリリングな章だと思う。
例えばオリガルヒのディミトリが妻の亡骸を抱くシーン。一途ではなかったかもしれないけれど確かにあった妻への愛情、死を悼む気持ち。彼が金の亡者であること。色々な要素が混然一体となっているけれど、それが一人のキャラクターに矛盾なくおさまっている。そのシーンを引きの後ろ姿で〆て観客に味わわせてくれる気前の良さよ~。アビゲイルとカールの関係も単なる性の使役にとどまらない、互いの人格をギリギリ尊重しようとするような意思や、そこから芽生えた親密さのようなものが描写されている。各登場人物の言動に簡単に断じきれない複雑さがあって、相反するように見えるけれどどちらも嘘じゃないと感じられるようなバランスの描写が秀逸だった。

なかでも、ヤヤとアビゲイルの関係性の言葉にできなさは、映画にしか映し出せないもので、なおかつ観客に解釈が委ねられているのにもしびれた。特殊な状況下で、力関係がある中でも、互いに一定のリスペクトと思いやりを示してきたふたり。「わたし、人を無意識のうちに操るのが得意なの」という序盤のヤヤのせりふが重くのしかかるが、たとえ元の構造の世界で決別してしまうにしても、少なくともこの島での絆はたしかにあったと信じたくなるような余韻があった。ヤヤ役のチャールビ・ディーンさんは本作が遺作になってしまったとのことでとても残念。


★★★★