アベンジャーズ/エンドゲーム


最強の、逆襲へ

原題:AVENGERS: ENDGAME
監督:アンソニー・ルッソジョー・ルッソ
脚本:クリストファー・マルクス、スティーヴン・マクフィーリー
撮影監督:トレント・オパロック
編集:ジェフリー・フォード、マシュー・シュミット
プロダクションデザイン:チャールズ・ウッド
衣裳:ジュディアナ・マコフスキー
音楽:アラン・シルヴェストリ


気づけば、GWのほとんどをMCUに捧げてしまった―。ほぼ履修済だったので、当初は最重要そうなところ(アベンジャーズ/キャップシリーズ)だけ復習しようかと思っていたのだけれど、だんだんと欲が出て、結局アイアンマン1とソーシリーズも復習。なにしろネタバレは踏まずにいたものの、識者たちの大絶賛は漏れ聞こえてくるし、Filmarksの点数も満点だらけ。
唯一、『スパイダーバース』は超えなかった、と言ってくれた友だち*1と「わたしにはセラピー会が必要」と言った妹*2の言葉だけが、はやるわたしの裾をつかんでくれた。ほんとこんな深い哀しみに襲われるとは思ってもみなかったよ。

以下、ネタバレとうらみつらみが続きます。エンドゲーム未見の方、楽しかった方はどうか見ないでください。




だめだった…徹底的に選ばれなかった……アガりも萌えも大号泣もあった。「アベンジャーズ アッセンブル!」「3000回愛してる」「ハイルヒドラ」「Dr.ストレンジの1/14000605 人差し指~私がアイアンマンだ」「チーズバーガー!」「キャップとペギーのダンス」…。もちろん大感謝と大尊敬はしているけれど……

このモヤモヤを考えるほど、わたしの中の乙事主が鎮まらず。負の感情をもてあまして、友だち*3にサイゼでセラピー会をしてもらったり、ネットで同志の感想を漁ってみたり。そしたらいた!代弁者たち。とても腑に落ちる感想ばかりなので、貼っておきます。

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https://blog.goo.ne.jp/kazurex1215/e/0dd19560c3a6d0fec3ce9877390ee252blog.goo.ne.jp


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どれもこれも愛あってこその慟哭。読んでいるだけで無念すぎて涙がこぼれそう。

上記の感想をふまえた上で、ごく個人的な、犬も食わない愚痴を。

1.スナップの巻き戻し
5年間のタイムギャップがあるまま人類の半分を元に戻す、という策が、ウルトロン計画よりサノスのスナップより地獄に感じられ…。この策に誰も反対しないし、推敲もしないのがまずきもちわるかった。

善人だけが消えた世の中じゃないのである。サノスだってサノスなりの痛みを抱えたまま農園にひっこんでいるのである。善人も悪人も等しくランダムに消えた世で、必死に5年を積み上げた、市井の人々の葛藤や成長をまったく顧みず、なんなら穏やかな暮らしを脅かすこの策―、全然ピースでもハッピーでもない気が…って、わたしは序盤の序盤でつまづいてしまったのである。


2.サノス決戦とピム粒子の複製
今回ワンターンのみのピム粒子という制約あってのストーリーだったはずが、だんだん雲行きが怪しくなる。サノスの軍勢が現れ、「???」となる。

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ピム粒子、量産できるじゃん…。すればいいじゃん…。まず着手すべきはそこじゃね?

ちなみにIWのサノス戦はスター・ロードの作戦があって、きちんとみんなの得意技が活かされていて楽しかったのに、今回はアクション的にも全然燃えない…。女傑大集合も「このご時勢!」みたいな感じで冷めるし、それとは別に問答無用でアガってしまう自分もいて、こころが引き裂かれる。そしてここで一番活躍すべきナターシャは抜きなんだ。


3.アベンジャーズのメッセージとはなんだったのか
わたしなりに受け取ってきた、アベンジャーズのメッセージとは、「アンチ功利主義」だった。すなわちキャップが「命に大小はない」と言ったように「最大多数の最大幸福」に没しないということ。

ところがエンドゲームではどうだろう?結局、多数決の幸福のために個を殺すんじゃん、と思ってしまった…。

「君の家族は無事だったけど、俺の大事なひとは消えた」という台詞でトニー・スタークを戦に駆り出すなら、市井の人々は無理でもせめてアベンジャーズ全員(とりわけ初期メン)にはこの台詞が適用されないようにしてほしかった……。最後まで責任もって。

アントマンホークアイも大好きだけど、ラスト、己の家族たちと寄り添っているシーンを観ても、心のどこかで幸福を(もしくは仲間を救えなかった悪夢を見続ける不幸を)交換したように思えてしまう。ナターシャやペッパー・ポッツやバッキーにワンダ、物分りが良いメンバーが犠牲を強いられているように見えてしまう。だいたいナターシャはアベンジャーズが家族なのに…人口の半分無にしても取り戻してやれよ!


4.理屈で行動を縛られてしまったヒーローたち
エンドゲームのストーリーは理路整然としている。BIG3の変化のベクトルは絵に描いたよう。全体優先のスティーブと個優先のトニーがシリーズを通じて逆転し、ソーは欠点を失った。

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ヒーローの入退場と継承(とりわけキャップとアイアンマンの勇退)、今後のシリーズ展開(今回不遇をかこったメンバーには次がある)、緻密な構成や自己参照、そしてヒーローたちの人気度や属性(性別/国籍/家族の有無など)、さらに今の時勢、を入力してスパコンで計算したら、この映画ができあがるのかもしれない。だから観客にとっても、この映画はまさしく「最大多数の最大幸福」を実現しているのかもしれない。

でも、わたしには、肝心要のヒーローの信念やキャラが消し飛んでしまった気がした。壮大な風呂敷をきれいに畳んだ「頭脳」には感服するけれど、あの時のあのヒーローの言葉は成長は、あの作品のメッセージはなんだったんだ!?と「感情」が置き去りにされていて、ヒーローたちの行動に血が通っていないと感じてしまった。

決められた筋道に従って、つらそうに窮屈そうに動いているヒーローたち。みんなが今まで積み上げた成長の延長線上で最大限躍動して、しあわせになる術はなかったのか?11年間がんばってきたヒーローたち、どうして犠牲なしでしあわせになってはいけないのだろう?ご都合主義でいいから。


5.結局ね ルッソ兄弟 好きじゃない
ここまで散々書き散らかしてきてわかったけど、ごめんなさい 結局好みの問題なんだ。

わたしは、MCUの中だと推しがGotG、スパイディ、Dr.ストレンジ、陛下、ペッパー・ポッツ、(アベンジャーズならホークアイ)(BIG3なら社長派)で、
監督は、ジェームズ・ガンジョン・ファヴロージョン・ワッツタイカ・ワイティティが好きなのだ…。
とくに今回のれなかった人は、IWに直結していた『マイティ・ソー バトルロイヤル』を高く評価していた人が多いような気がする。わたしについて言えば、IW公開前の「ルッソ兄弟だからラグナロクみたいにはならんですよね…?」というテンションの結果なのだ。

もちろん、この情報量を捌けるMCU監督はルッソ兄弟以外にはおらず、完全に適任なのだけれど(あってジョス・ウェドンか)。


ただただこの一言に尽きる。葬式じゃなくて祭りが観たかったんだ・・・・・・

そしてまんまとトニー・クリント・スコット娘たちのバディものとか夢想してしまいますよ!

追記:
しかし、『インフィニティ・ウォー』は楽しめたので、端的に「ジェームズ・ガン不在」が効いているのか…とも思った。そのへんを念頭に置いて、2回目行ってこよう…。

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追記2:
ルッソ兄弟の「ガーディアンズラグナロクはキャンディ おれたちは野菜(ブロッコリー)」発言、「あー……(中指)ほんとそういうとこだぞ……」しかない。


★★★

*1:『スパイダーバース』を推してくれた張本人でもあるので、わたしの未来が視えてるのか?Dr.ストレンジなのか?と思う

*2:LAコミコン参加の、ロキ推し猛者

*3:涙で前が見えないバッキー推しの友だちと、フラットに観たのに愚痴につきあってくれた友だち夫婦