若おかみは小学生!

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春の屋には、たくさんの出会いが待っていた!
両親を亡くした<おっこ>が修行するのは、
不思議な仲間たちがいるおばあちゃんの宿

監督:高坂希太郎
脚本:吉田玲子
作画監督:廣田俊輔
美術監督:渡邊洋一
撮影監督:加藤道哉
編集:瀬山武司
音楽:鈴木慶一
原作:令丈ヒロ子
絵:亜沙美


夫の誕生日を祝うため有休。二人して『アンダー・ザ・シルバーレイク』を観るのを楽しみにしていたのだけれど、時間が合わず。各所絶賛を受けておそるおそる夫にプレゼンしてみたところ、意外にも「逆に興味がわいた!」と言うので行ってきました。結果、めったに映画で泣かない夫*1も落涙。「今年ベストかもしれない…」とまでのたまっていました。

わたしは、夫へのプレゼンのために、わりと事前情報を入れていて、「おっこが良い子すぎる」とか「自由意志をつぶして大人の都合で動いている」という意見を危惧していたのですが、そんな風に見えなくてほっとしました。

これは子どもに対してどこまで大人がケアできるか、子どもの成長に周りの大人がどこまで影響を与えるか、ということに対する意識の差が、かなり観方に影響する作品なのかも。

個人的には、衣食住の環境さえ整えてあげれば、子どもは勝手に成長していく、と思っていてむしろ大人がそれをコントロールできるとは思えない。それほど子どもがもともと持っている個性や生命力はすさまじいものだと、新米母のわたしは日々実感しているし、勝手に信用してしまっている。
たとえその子ががんばりすぎてしまったとしても、そうすることでしか到達できない景色はもちろんあるし、子ども時代にしかきかない無茶やがんばりもある。どんなに言って聞かせてもがんばらない子やタイミングもある。その影響が大人になった時に出てきたとしても、それはその時また自分で向き合っていけばいいんじゃないかなと思います。

このへんのバランスがとてもていねいだなと思うのですが、たしかに誰もおっこを迎えに来ないし、行きがかりで若おかみになってしまうけれど、祖母にはきちんと逡巡する様子が描かれているし、誰も(幽霊は別として)「がんばれ!」とは言わない。
大切なひとを亡くした時、とりあえず手を動かして誰かに必要とされ喜んでもらうことで気を紛らわし、まずは生活を続けていくこと―。適性もあったおかみ業はおっこの支えになっているし、その上であかねくんと喧嘩したり、車で過呼吸を起こしたり、グローリーさんと豪遊したり(最高!)、という流れは、ものすごく健全に大切な人の死と向き合うステップを踏んでいるように見える。そのまっすぐで生命力あふれる姿は、決して強制されているようには見えない。なにしろスーパーかっこいい真月ちゃんというライバルのおかげで、おっこの良い子ぶりが霞む(笑)

生と死の世界がシームレスなのも、とてもよかった。子どもってこういう風に世界が見えている時期がきっとあるし、同時におっこの「死を受け容れる力」の推移が可視化されていて、すごい表現だなーと思いました。おかげで夫は鑑賞中「シックス・センス オチか?」とヒヤヒヤしていたらしいけど。

クライマックス、自分が死なせた相手の子の現況を押さえていない加害者はやはり腹立たしいし、それを受け入れるのは酷な話だけれど、おっこのせりふにはとりあえずおもてなしに徹するというニュアンスはあるものの、個人的な赦しについてはまだ先になるのかな、というバランスがあって、このあたりもほっとする。赦さなくてもいいんだよ。

ラストは思い出し泣きできるほど。ライバルと去りゆくイマジナリーフレンドと舞うのを、亡くした人と出会った人が見守っている。「ずっとこの時が続けばいいのに…」という多幸感とせつなさ、でもはっきりまぶしい成長と未来が見える。大傑作!


★★★★

*1:泣いた映画は『エレファント・マン』と『仁義なき戦い