バーニング 劇場版

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彼女は一体、なぜ消えたのか?
待ち受ける衝撃のラストは、想像を絶する―
カンヌ映画祭で歴代最高評価を獲得した、
究極のミステリー。

英題:BURNING
監督・プロデューサー・脚本:イ・チャンドン
脚本:オ・ジョンミ
撮影:ホン・ギョンピョ
照明:キム・チャンホ
編集:キム・ヒョン
アートディレクター:シン・ジョムヒ、キム・ダウォン
衣装:イ・チュンヨン
音楽:モグ
原作:村上春樹


観客の好き嫌いを超越するような、とにかく圧倒的な求心力をもった映画。バイタルに影響がでるレベルで、あらゆる力を絞り取られました。
イ・チャンドン作品の、否が応にも集中を強いられ、画面から目を離せない緊張感や、「わたし!いま!映画を観てる!」というゾクゾクするような昂揚感は、ポール・トーマス・アンダーソン作品に通じるものがある、といつも思う。

さて、村上春樹信者のわたくしですが、この映画は「納屋を焼く」そのものを映画化したというよりも、「村上春樹」をまるごと取り込み、咀嚼し、換骨奪胎したような作品だと思いました。とくに『ねじまき鳥クロニクル』の気配を強く感じました。

前半は、原作に沿って、「あるはずのものがないこと」「最初から存在していなかったかのような消失」の不協和音がどんどん世界を侵食し、自分の足元が崩れていくような、また現実世界の薄皮一枚がめくれて、別の世界が顔を出すような、不気味な違和感(あるいは不吉な暴力性)をかもしだしていました。
マジックアワーの長回しは、現実と空想の境が溶けていくようなこわいくらいのうつくしさでした。

しかし、後半へ進むにつれ、原作の低温感はなりをひそめ、「愛」や「嫉妬」が明言され、主人公の激情が走り出す。「ないことを忘れる」とは真逆の、この世に一人だけでも「あると信じる」こと。現実世界では何も持たない青年が、「あちら側」から「こちら側」へ女を取り戻そうともがくこと。
この行為は、もはや『ねじまき鳥クロニクル』の世界観そのもので、グレートハンガーとして、虚無とそこはかとない悪意をたたえた「ベン」像も、非常に「ワタヤノボル」に近いものがあると感じました。

ラストは、希望とも絶望とも、観客によっていかようにでも解釈でき、観客自身を照射する鏡としての器の大きさ・深さを感じて、なおさらこの映画の凄みを感じました。

それほど単純ではないにせよ、わたしにとっては、憎悪や断絶というよりは、かすかに覚悟や脱皮のニュアンスのほうが勝りました。
ねじまき鳥クロニクル』のメタファーの世界で、主人公がバットで「ワタヤノボル」の頭をかちわったように、ジョンスはちいさな革命を起こしたのだと思います。それがどちらの世界の出来事であれ。
そしてもしかしたらメタファーが現実を凌駕することがあるかもしれない。

3人のメインキャストは、顔からたたずまいから完全に「村上春樹」の世界を体現していてすばらしかった。ヘミ役の方、これがデビュー作だなんて信じられない。からだのしなやかな使い方や雰囲気ある存在感に、『きみの鳥はうたえる』石橋静河さんに通じるものを感じました。


★★★★