ゴジラ−1.0


戦後、日本。
無から負へ。

監督・脚本・VFX山崎貴
製作:市川南
撮影:柴崎幸三
編集:宮島竜治
美術:上條安里
衣装:水島愛
音楽:佐藤直紀


すでに観た友だちから「『やったか……!?』の天丼」「明るくないバトルシップ」というキラーフレーズをもらっていたので、それも含めて楽しく観ることができました。

まず、ゴジラパートが総じてとても良かった。登場する度きっちり味わわせてくれる絶望感は、歴代ゴジラの中でもトップクラスだと思う。みんなの「ゴジラに絶望させられたい」を満たしてくれる、最高なゴジラ。あー……高雄がー……日劇がー……!!!熱線放射のワクワク感ハンパないし、震電につられて湾に出ちゃうゴジラ先輩かわいい。

対するドラマパートは、好きじゃなかった。名優たちがへたくそに見える説明せりふの数々。統一感のない言葉遣い。湿っぽいけど強運すぎる神木くん。人形かよ?っていうアキコの扱い。ただ、新生丸チームはキャラでせりふを制圧してたし(マッド・サイエンティスト吉岡の怪演!ハイロー村山!)、橘役の青木崇高さん良かったなーと思いました。

でも、艇長の「誰かが貧乏くじを引かなくちゃなんねえんだよ」とか「戦争を生き残ってしまった者の責任」という思考回路やそこに漂うヒロイズムは、やはり危険だと感じたし、自分は絶対に賛同できない。(「こりゃだめだ」ってなるシーンがあって良かったけど。)最近、シャマランの『KNOCK 終末の訪問者』を観たときも思ったのですが、誰も親しい人に「命を犠牲にして世界を救ってほしい」なんて思わないのではないだろうか?その死を感謝すべき尊いものとして受け容れるだろうか?少なくともわたしは「何もしなくて良いから生きていてほしい」と思うし、ひと一人の死が与える影響、残された者にかかる負荷なめないでほしい、と思う。(もちろんその一人一人が集まって世界ができているわけだけれど。)
今年、一番仲が良かったパパ友が亡くなってしまったのですが、以降、創作物における死の描き方にはだいぶ過敏になってしまっている気がする。まだ、わたしはめちゃくちゃ悲しんでるし、めちゃくちゃ傷ついているんだと思う。

そもそも、この映画に限ったことではないけれど、日本製作の映画における戦争の被害者意識の強さには、鼻白んでしまうところがある。自国がおこなった加害を透明にして反戦を叫んでも、説得力がないし、空々しさを感じてしまう。唯一の戦争被爆国である日本が原爆のおそろしさを語り継いでいくことはもちろん大切なことだけれど、そもそもなぜそうなるに至ったかー、その点を省みることこそが「戦争をした国に生まれてしまった者の責任」であるような気がします。


★★★