最後の決闘裁判

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生死を賭けた<真実>が裁かれるー
歴史を変えた衝撃の<実話>

原題:THE LAST DUEL
監督:リドリー・スコット
脚本:ニコール・ホロフセナー、マット・デイモンベン・アフレック
撮影:ダリウス・ウォルスキー
編集:クレア・シンプソン
美術:アーサー・マックス
衣装:ジャンティ・イェーツ
音楽:ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ
原作:エリック・ジェイガー


地獄映画であることは重々承知で、でもどうしても観たかった。リドリー・スコット監督、親友コンビ脚本、アダム・ドライバー出演というピースで佳作なのは保証されているけれど、さらに『ある女流作家の罪と罰』のニコール・ホロフセナーが脚本に入っているというのが決め手だった。そして、まさにその彼女が描いた第三幕の地獄がすさまじかった。

第一幕・第二幕もとてもおもしろかった。構成の巧みさとクソ男3人の演技アンサンブルが見事。クソであることは疑いようもないが、それでも仕事、身分、家柄、処世術、プライドにがんじがらめな、封建制における男の地獄もしっかり描いていた。

しかし、第三幕の地獄はその比ではなかった。実は三幕とも起きた出来事自体に大きな改ざんはない。だから余計に描写に差異がある部分に、各人の「こだわり」や「受け取り方」や「感情」が強く浮かび上がってくる。第三幕でわたしが茫然自失したのは、男たちが「都合よく美化した部分」以上に「そもそも認知すらしていない部分」だった。留守をあずかる女主人としての手腕や妊活の苦しみ、二次被害、果ては本人の人格的な部分すらも、本人が語ることしかできない。「美化」は少なくとも認知しているからできることなのでまだマシとすら思った。
そして連帯の皆無。レイプシーンもきつかったが、わたしはその後の夫・義母・女友だちの仕打ちがあまりにつらくて泣いてしまった。本来味方でいてほしい人たちが見せてくる超弩級の地獄。

というかまず、義母や女友だちも含めて女たちはみな家に閉じ込められていて連帯する術などなく、そもそもアイデンティティや自尊心を形成する術がない。そして男たちのように生き様や歴史を"Witness"してくれる人がいない。そこで翻って考えると、この第三幕の視点のバランス自体も相当危ういことに気づく。もちろん第三幕が"TRUTH"であることは強調されているし、出来事については事実なのだが、こと本人のキャラクターの描写については、一~三幕は意図的に同じバランスにしてあるように思える。3人の視点から男たちのキャラクターはある程度立体的に像を結ぶのに比べ、女たちの情報はあまりに少なすぎて像にならない。これには本当にぞっとした。
ラストに至っても、そもそもこの時代の社会システムにおいては、女性に許され認知される幸せ/アイデンティティ/自尊心は「子ども」のみだった、という絶望が横たわっているように感じられて震え上がった。ダメ押しの字幕に「聡明な彼女は領地を良く治めた」ではなく「再婚はせず裕福に暮らした」という文言。もうライフは0。

とどめに鑑賞後、こんな記事を読んでしまい心が焦土と化した。

www.moviecollection.jp

「君は本当に映画を見たのかね?」マジそれな。"TRUTH"の強調や暴力表現については迷った末にわかりやすくしたんじゃないかと思うだけに、リドリー・スコットの絶望に胸が痛い。


★★★★