ウーマン・トーキング 私たちの選択


赦すか、闘うか、それとも去るかー
実話を基にした、自らの尊厳を守るために語り合った女性たちの感動の物語
第95回アカデミー脚色賞

原題:WOMEN TALKING
監督・脚本:サラ・ポーリー
撮影:リュック・モンテペリエ
編集:クリストファー・ドナルドソン
美術:ピーター・コスコ
衣装:キータ・アルフレッド
音楽:ヒドゥル・グドナドッティル
原作:ミリアム・トウズ


サラ・ポーリーは個人の話を「私たちの物語」にする監督だと思う。権利を奪われつづけたことは同じだが、考え方も傷のかたちもちがう女性たちがひたすらに対話することで新たな地平を切り拓いていく様子に、胸を打たれる。わたし個人はこれほどひどい目にあったことはないし、ここに出てくるどの女性とも似ていないと思う。でも、この無力さと恐怖と怒りは自分事だったし、観ていて本当にしんどかった。

以下、ネタバレ




あえて寓話的に描いたことで、内容は非常に挑戦的になっていると思う。例えば、劇中で女たちは「赦し」について解釈し直していくが、つまりそれは現行のどんな宗教や法律にも再解釈が可能だということだ。

また、積極的に加害をしなかった者の責任についても切り込んでいる。女たちが「何もしなかったこと」の罪について話し合うシーンや、母が誤った「赦し」をしつづけたことを娘に謝罪するシーンがあるのだが、同時代を生きる人間としてすごく重い責任を感じた。

とくに、わたしが一番ショックを受けたのはオーガストベン・ウィショー)の処遇だ。この映画を観るような男性はオーガスト側だと思うのだけれど、どう感じたのだろう。*1
正直、自分がこの映画で一番なりたくないのはオーガストだ。女たちは一枚岩ではないし、ラストしずかに流れつづける雨と雷の音は彼女たちの前途多難な未来を象徴しているかもしれない。それでも知性と対話が、一縷の希望と未来がある。女たちにとってはもう村の男たちの行く末など"That is not our responsibility!"だ。

しかし、オーガストは狂った世界に残り、13才以上の男たちの再教育を引き受け、自殺すらも許されない。母の思想により村から追放されていた身で、「変わり者」扱い。当然村の男たちと馬が合うはずもないだろうし、今回の件で彼自身も身の危険にさらされる可能性が高い。
最初、これは苛酷すぎると感じた。個人的にはオーガストに「いっしょに行こう」もしくは「手を取り合って長老を殺そう」と言いたい。ただもう女性たちの側に立ち上がることを求めるべきではないのかもしれない。例えば、たとえその世代の罪ではなくても、戦犯国に歴史を学び再発を阻む責任があるように、男性にもそれを求められるフェーズが来ているのかもしれない。男性たちに「なぜ何もしないのか?理解を示すだけでいいのか?なぜ男の啓蒙を女にやらせるのか?いつまでそのムーブなんだ?」ということを問うている作品でもあると感じた。(ちがうんだろうか?)
男児をもつ母としては、その性の重さや教育の難しさに考え込んでしまった。


★★★★

*1:男性評論家の評を探してみても、女性たちに寄り添う内容ではあるものの、オーガストについてしっかり語っているものはあまり見つからなかった。