aftersun/アフターサン


最後の夏休みを再生する
20年前のビデオテープに残る、11歳の私と父とのまばゆい数日間。
ーあの時、あなたの心を知ることができたなら。

原題:AFTERSUN
監督・脚本:シャーロット・ウェルズ
撮影:グレゴリー・オーク
編集:ブレア・マクレンドン
美術:ビラー・トゥラン
衣装:フランク・ギャラチャー
音楽:オリバー・コーツ


すごい映画だった。豊かな余白をもった映画の隅々に細やかに散りばめられたピースを拾い上げていくと、観客それぞれにちがった心象風景が浮かび上がるようにつくられている。監督が観客の想像力と記憶が呼び起こすノスタルジーを最大限信頼してくれているのが伝わってきて、まずそこに感動してしまった。

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以下、ネタバレ




圧倒的な説明の無さ。11歳の娘ソフィと31歳になる父カラム。二人は離れて暮らしており、カラムはどうやら深刻な問題を抱えているらしい。映画のほとんどは二人が過ごす退屈なバカンスを映したホームビデオのように見えるのだが、ときたま差しはさまれるカラムの不穏な様子や現在のソフィの様子から、徐々にこれはソフィが記録と記憶をつなぎ合わせて再構築したもので、観客はソフィといっしょに心の旅に出ているのではないか、ということがわかってくる。

11歳と31歳という設定の絶妙さ。ソフィは大人びた子ではあるものの、ハイティーンの輪には入り切れず、まだ父親とも距離が近い。カラムは若くして父親になったものの、大人になり切れておらず、自身の問題に苦しんでいる。二人とも「なにか」になりきれない宙ぶらりんな時期だ。*1

わたしは母であり娘でもあるので、いろいろな立場や角度から感情を動かされて、心がぐちゃぐちゃになった。例えば、「11歳のときどんな大人になっていると思っていた?」というインタビューの無邪気さと残酷さ。カラムの「頭が大きい」には子として、ソフィの「お金がない」には親として、悪気のないジョークとわかっていながらも、家族特有のデリカシーの無さに傷つく。夜道を一人で歩くソフィに、夜の海に入っていくカラムに、最悪の事態を想定してしまう。またそこには、必ず「現在のソフィ」の視点が感じられ、今の彼女の想いや決して巻き戻せない時間を思うと、切なくてたまらなくなる。

決定的なことは描かれないし、拾いきれなかったピースもあるけれど、R.E.M.の『Losing My Religion』、Queen & David Bowieの『Under Pressure』使いと、ラスト明滅するクラブの扉へ消えてゆくカラムの姿は、どうしようもなく胸に刺さった。夜の海へクラブの闇へ消えてしまいたい気持ち、それでも「行かないでほしい」と願う気持ち、そしてそれが叶わなかったこと、がないまぜになった。

それでもあのとき父が娘に贈った言葉が、いまの娘の「chosen family」のかたちにつながっているのかもしれない、と思うと、すべての完璧でない親たちとこれからの子どもたちの未来に優しく寄り添ってくれているような気がして、泣いてしまった。


★★★★★

*1:余談ですが、「わたしが11歳だった時の親の年齢を、今のわたしは超えてしまっているんだ!」ということにがく然としました。親えらいな…