コクリコ坂から

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上を向いて歩こう
1963年の横浜。下宿屋を切り盛りする海と新聞部部長の俊。2人のさわやかな恋とそれを阻む出生の秘密、高校文化部の老朽化した建物“カルチェラタン”の取り壊しを阻止する学園闘争を描く。

監督:宮崎吾朗
脚本:宮崎駿 / 丹羽圭子
作画監督:山形厚史 / 廣田俊輔 / 高坂希太郎 / 稲村武志 / 山下明彦
美術監督:吉田昇 / 大場加門 / 郄松洋平 / 大森崇
撮影監督:奥井敦
編集:瀬山武司
音楽:武部聡志
主題歌:手嶌葵『さよならの夏 〜コクリコ坂から〜』
原作:高橋千鶴 / 佐山哲郎コクリコ坂から


えー、世の中にはのれなかったと言いたくない映画がございまして。自分が信頼するひとが推していたり、好きな要素がつまっていたり、どう見ても自分に向くはずの映画に選ばれていないかなしみ。近年だと『かいじゅうたちのいるところ』『キックアス』なんかはまさに。コクリコ坂もそんなかんじでしょうか。

やはり吾朗の資質は小品にあるようで、『ゲド戦記』よりは格段に良かったです。(しかし『アリエッティ』米林宏昌監督もどちらかというと同じ系統の監督に思えるので、ジブリ的にはいかがなものかー)とくにオープニングの「朝ごはんの歌」が流れるなか、わたしの胸は期待にふくらんでいったのですが。

まず観ているあいだの率直な感想は「なんだかふた昔前の少女漫画みたいな話だなあ」で、それもそのはず原作は「なかよし」連載だったのね。それでわたしがこの映画にのれなかったところは端的に言うと、「文化部なめんな」ひいては「少女漫画なめんな」ということなのです。

企画・脚本を務める宮崎駿

脇役の人々を、ギャグの為の配置にしてはいけない。少年達にいかにもいそうな存在感がほしい。
二枚目じゃなくていい。原作の生徒会会長なんか“ど”がつくマンネリだ。少女の学校友達にも存在感を。
ひきたて役にしてはいけない。海の祖母も母も、下宿人達も、それぞれクセはあるが共感できる人々にしたい。観客が、自分にもそんな青春があったような気がして来たり、自分もそう生きたいとひかれるような映画になるといいと思う。

と言っているのだけど、これがまさにわたしにとっては真逆の取り方に。きっちり登場人物を描いていけば、あんなふうに「みんなが足並みそろえてワッショイ」な映画にはならないと思う。2人の恋にしても、カルチェラタンの維持についても、みんなが応援・みんなが右へならえでまったくジブリは文化部の卑屈さを忘れてしまったのか、と嘆かざるを得ない。
この話における障害がただ一点「情報不足」に見えるところもなんだかなあと思う。2人でのりこえたっていうより「話せば/聞けば分かったのに」っていう部分に集約できる気がするし、重大な情報なんだからそこはきっちり最初から開示しとけよ!っていうそもそも論もある。

何より気になったのが少女漫画のキモになる、ヒロインの魅力。わたしはこのヒロインが何考えてるのか全然わからなかったんだよねえ。(こころのなかで、"鉄仮面ちゃん"と呼んでおりましたよい。)時代を考えて長女が家事を一手に担うのはわかるんだけど、そのことについてヒロインがどう思ってるかはまた別問題で。ガリ切りにしてもどういう気持ちでやってるのか表情からは読み取れなくて。この子が学校でどういうポジションなのかとか、そもそもなんでメルって呼ばれてるのか(ラ・メールはフランス語で海の意でした)とか、もやもやする部分が多すぎました。

もう吾朗は駿に企画・脚本なんかやらせてねえで、3作目がんばってほしい!


★★★